1: PlayStationでも発売の可能性があったレイディアントシルバーガン
セガサターンで最も評価されたトレジャー開発のシューティングゲームは、当初PlayStation向けにも開発が行われていた。トレジャーの前川正人氏は、PSバージョンがSCEAによって却下の判断が下り、開発の続行が困難になった事を明らかにしている。当時のPS向けのラインナップには数多くのゲームが用意されていたという背景もあり、当時は様々なタイトルが却下されていたと前川氏は説明する。同様にレイディアントシルバーガンが圧倒的なセールスを記録できるタイトルであるのか、という点で考えればこの判断も理解出来たと前川氏は答えている。
2: 鼻歌をきっかけにスペースゲームを考案、Ensemble Studios
Ensemble Studiosの共同設立者であるBruce Shelley氏は、Ensembleの自由奔放なアイデアに関した面白い逸話を持っている。Halo MMOを開発していた同社の中にはもう一つのアイデア――月への移住と発展に焦点を当てた宇宙ベースのストラテジーゲーム――に関した話が広まっていた。4Xスタイル(帝国建設系ジャンル)だったこのゲームは、ストラテジーゲームの老舗メーカーであるEnsembleのゲームとしては大きな驚きはないものの、デザイナーの一人が『Fly Me to the Moon』(私を月に連れて行って)の歌を口ずさんでいるのを耳にして、Shelley氏はひらめいたのだとか。
3: RebellionのAliens vs. Predatorは映画に基づいた内容となる可能性があった
Rebellionが開発したAliens vs. Predatorは、映画とは異なるタイムラインであった事から少なくとも“その世界の拡大”を担った事に関しては同意することができる。しかし当初は、2007年に公開されたAliens vs. Predator: Requiem(AVP2 エイリアンズVS.プレデター)に直接関係するゲームを開発していた。映画と同じく舞台はGunnisonやColoradoとなっていたものの、ライセンス契約の変更に伴い現在のAvPへと変更された。
4: Bungieのトップが退社、新会社を設立する計画
BungieがHalo3の立場を確立していなかったら、会社のトップは仕事をやめ、新しいスタジオを設立していた可能性があったことを、Bungieの元デザイナーMax Hoberman氏が明かにしている。これはHalo 2からHalo 3開発の初期に掛けて起こっていた。
5: 生み出されなかった可能性のあるTim Schafer氏のゲーム
Monkey Island 2: LeChuck's Revengeの開発終了後、Ron Gilbert氏はHumongous Entertainment設立のためにLucasArtsを退社。その際に数人のスタッフも引き連れることになった事を元LucasArtsの開発者Dave Grossman氏が明らかにしている。そこにはGrossman氏を始めとして、後にGrim FandangoやDay of the Tentacleといった作品を生み出すTim Schafer氏も移籍する予定であったとしている。しかしBay Area外への設立を決定したことによりその考えも変わったという。
6: Heavy Rainには当初、有名な声優を起用する計画があった
アカデミー賞受賞者の俳優にメインキャラクターを演じさせる予定だった。
7: アメリカの大手家電量販店で働く可能性があったBethesdaのTodd Howard氏
Bethesda Game StudiosのエグゼクティブプロデューサーのTodd Howard氏は、アメリカの家電量販店Circuit Cityの会社で働く可能性もあった。大学では経営学を専攻していたとする氏は ゲーム業界を夢に見ながらも実際には親の誇りとなるべく、アメリカの大手家電量販店Circuit Cityとの面接を重ねる。しかしその結果は実を結ぶ事は無く、最終的にゲーム業界へ向かえたとのこと。
8: 板垣 伴信は過去にアメフトゲームを手掛けていた
1994年に、Football Fighterと呼ばれるアメリカンフットボールを題材としたアーケードゲームの、リードゲームデザイナーとして開発に関わっていたと板垣氏は答えている。パンチとキックがある革命的なスポーツゲームで、フロリダでロケテストを行った際には、1日に1ドル、つまり50セントコインで2プレイ分しか遊ばれなかったと明らかにした。板垣氏は「マイアミのゲーマーに心から感謝しなければなりません、このク○ゲーがそのような結果でなければ、ゲームというそのものが理解出来ていなかったでしょう」とコメントしている。
9: アーケード版も構想されていた3DシューティングゲームRez
Q Entertainmentの水口哲也氏がセガに在籍していた頃、水口氏はRezのアーケードバージョンを構想していた。それはセガラリーのような着席型のブースを使用し、100基のトランスバイブレーターを取り付けたようなフルボディバイブレーションのイスを製作したかったと氏は話す。アーケード部門のスタッフへとその事を話すと、微笑んだ後に苦笑、セガの経営陣に話した時には、微笑んだ後にうつむいたという。
10: 実現される事のなかったXbox 360のローンチタイトル開発の計画
Metal Arms等を開発したSwingin' Apeは、マイクロソフトとのXbox 360のローンチに向けたオリジナルゲームの取引を行っていた。RTS要素も合わせた一人称視点のチームベースシューターとして、元Swingin' ApeのSteve Ranck氏はそのゲームは非常に手の込んだものであったと話し、150〜200人の規模であった事も明らかにしている。
11: UbisoftはLord of the Ringsのゲーム化を計画していた
Ubisoft Montreal CEOのYannis Mallat氏はPrince of Persia: The Sands of Timeを担当する前、Lord of the Ringsのゲームに取り掛かっていた事を明かしている。しかしUbisoftはそのライセンスを得ることはなく、結果的にThe Sands of Timeを担当することとなった。
12: セガ退社後のPeter Moore氏の職業は“オンライン家具販売”
ドットコム企業の流行によって、自らの元へ多くの人々がドットコム企業の提案の為にやってきたと元セガアメリカのPeter Moore氏は答える。最終的にはゲーム業界に残るか、オンラインで家具を売る会社のCEOになるかを選択する機会があったという。
13: レースゲームを主流とするBlack Rock Studioに計画されていたFPS
Split Secondを開発する前、Black Rock Studioはコードネームの“Avalon”と呼ばれるプロトタイプのファーストパーソンシューターを開発していた。またSplit Secondに関しては、当初はPS2タイトルとして考えられていたものの、コンセプトにハードウェア性能が追いつくまで保留の状態だった。
14: 映画『Killer Clown』の幻のゲーム化案
SierraがActivisionと合併する前、デベロッパーのArtificial Mind & Movementは、Wetの他にもオリジナルゲームを準備していた。それは映画『killer clown』をベースとしたホラーゲームだった。
15: “パワーストーン風”Blade Kittenの知られざるプロトタイプ案
2.5DプラットフォーマーのBlade Kittenには、複数のジャンルのプロトタイプが存在していた。その中にはパワーストーンスタイルの格闘ゲーム等も存在していたものの、それらのバージョンはゲーム化するには至らなかった。
16: The Simsの当初のタイトルはSim Hollywood、映画業界を題材としたシミュに
EA着任後にThe Simsの開発を手がけた現THQのDanny Bilson氏は 当初The SimsのタイトルがSim Hollywoodと呼ばれていた事を明かにしている。それは映画業界を題材としたトップダウンのボードゲーム風シミュレーションで、プレイヤーはハリウッド黄金時代の映画スタジオを立て直すといった内容だった。
17: 発売中止目前に追い込まれた第一作目Grand Theft Auto
Dave Jones氏はGrand Theft Auto第一作目が、発売の三ヶ月前にアメリカのパブリッシャーにより拒否されていた事を明らかにしている。北米サイドのBMG Interactiveは、トップダウンのドライブゲームは完全に失敗するとして、発売三ヶ月前に中止させようとしていた。欧州サイドのBMGは協力的であり、ヨーロッパでは成功することを感じさせたとするJones氏。しかし北米ではプロダクションバリューと3Dが全てであったと語っている。
18: Silent Hillの山岡晃氏によるRTSゲームの構想
Silent Hillシリーズの作曲者でありプロデューサーも務める山岡晃氏は、コナミに在籍していた頃、Age of Empiresのようなリアルタイムストラテジーゲームの構想があった。ゲーム内の人々に「木を切れ」等と命令すれば実際にそのように行動し、人工知能の概念も取り入れられ、素直にプレイヤーの命令に従わない人々も居るといった特徴もあった。
19: 映画『インディージョーンズ』シリーズ3部作の幻のゲーム化
6〜7年前にインディージョーンズの最初の三作をベースとしたトリロジーゲームが開発されていた事を、Kaos StudiosのレベルデザイナーのRex Dickson氏が明らかにしている。そのデベロッパーは明かされてはいないものの、何らかの理由により中止になったとのこと。
20: スピルバーグ参加の発売中止作、LMNOには映画版も予定されていた
スティーブン・スピルバーグが製作に参加する作品としてEAより2005年に発表、その後中止が明らかとなったLMNOは、映画化も予定されていた。ゲームと映画が続編、または前編としてサイドストーリーとして展開する構想があったという。
(ソース: 1UP)
※UPDATE(2010/11/7 16:40):誤字を修正しました。コメント欄でのご指摘ありがとうございます。
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